敦賀ロータリークラブ
敦賀ロータリークラブトップ ひとつ前に戻る プライバシーポリシー お問合わせ サイトマップ


例会の様子 第2426回 2006年11月1日

会長の時間

3ヶ月100%表彰

本日のゲストは2004-05年度R財団学友の小石かつらさんである。後ほど卓話を頂きたい。ビジターに敦賀西RCの高橋淳君においで頂いている。そして、残念だが、増田会員から出された退会届が先日の理事会で承認されたことを先ずご報告したい。本日は出席率が悪いと思うが、当クラブから韓国東海市経済ミッションのために4名が参加している。

先々週のIMもJR直流化開業の日と重なり、出席率が悪かったが、今日はその話をしたい。IMというのは、Intercity Meetingの略語で昔はICGF(Inter-City General Forum、都市連合フォーラム)と言われた。その後Inter-Cityは一つの言葉だということでIGFとなり、数年前から現在のIMという言い方となった。IMという言い方は、RI会長が来日した際にゾーン単位でパストガバナーが集まる会合もIMと言われるし、Informal MeetingもIMと言うことがあるので大変紛らわしいが、我々がここでいうIMとはフォーラムの要素のあるものとして区別する必要がある。すなわちIMはロータリアンの心を磨く、言わば自己研鑽の契機となるものでなくてはならない。

ロータリーではIMの他に、例会、クラブ協議会、地区協議会、地区大会等色々な会合がある。昔のロータリアンは、自己研鑽の契機としてロータリーの全ての会合に出席するのが当たり前、当然の義務であると考えたが、最近は入会3年未満の新会員は全員出席などという「義務出席」なる言葉が現れ、出席することが当然ではなくなってしまった。義務出席という言葉が使われるようになって出席率がガクンと落ちた。大変嘆かわしいことで、このこと自体がロータリーの衰退につながる気がする。

ロータリーの将来を考えるなら、個人的には、義務出席という言い方をやめて、協議会や大会には全ての会員に必ず出席していただくべきだと考える。私自身が100%となってないので言い難いが、例会出席についても4回連続欠席で退会という規則があるはずで、最低60%以上の出席はお願いしたい。

委員会報告

米山奨学会委員会

    

今月は米山の一人1,000円運動を行いたい。

R情報委員会

    

会長の話のとおり大野でIMが開催された。その時実施した「100人アンケート」の結果を配布したが、この問題は福井県と比較するため去年、京都市内のIMでやったものを拝借し、福井県の代表100人(敦賀RCから6人)に答えてもらったもの。

    

京都と福井の違いは「8.ロータリーの問題点」で、@細かいルールが有り、それに縛られる、B色々の役に付けられて、仕事の時間に影響を受ける、Dロータリアンは平等と言われているが、先輩に気を遣う、Eクラブ・RIの活動に魅力を感じない、といった項目。この他、当日は刀根会員にも出ていただきパネルディスカッションなどを行った。

    

また、当日開催された福井県の情報委員長会議における各クラブの委員長の発言に関連して、家庭集会、炉辺会合、情報集会の三つの会合が混同されているとの指摘があったので、簡単に違いを説明する。元々は「炉辺会合」と言われていたが、1990年以降は「家庭集会」と言われるようになった。家庭集会は親睦、情報交換、新入会員増強などの意味で行うが、「情報集会」は1995年手続要覧に出てきたもので、家庭集会の中でロータリー情報の伝達が目的であり、言葉の使い分けをしっかりお願いしたい。

幹事

    

10/30に開催された理事会の報告をする。

    

親睦委員会11月〜12月例会プログラムについて原案どおり承認された。なおクリスマス家族例会は12/16→12/17に変更された。

    

各委員会の事業計画が報告され、承認された。

    

会計報告について第1四半期の会計報告が原案どおり承認された。

    

指名委員会、歴代会長会議開催結果について審議を行なった。その中で、長期欠席者の取扱いについて、クラブ会員歴と年齢の合計が85以上の「出席免除会員」の有資格者が休まれる場合は出席免除の申請をお願いすることとした。その結果、今回8名の出席免除会員の方に申請してもらい、了承することとした。また中村純会員、矢田会員、芝原会員については病気療養中という正当かつ十分な理由による欠席として認めることとした。それ以外の全く出席しない会員については、歴代会長が出席を促し、それでも例会に出席しない場合は退会勧告をすることが了承された。また、今後、例会欠席の会員には事務局からメーキャップを促す書面を出すこととした。

    

50周年記念クラブソングについては今週中に最優秀曲を決めたい。

    

第2回家庭集会を11月中に開催いただくよう各班長にお願いする。

    


卓話「異文化の中の外国人」

2004-05年度R財団学友 小石かつらさん

  財団学友小石かつらさん

大阪大学文学研究科博士後期課程音楽学専攻の小石かつらです。京都桂川RCの推薦で、昨年、ベルリン工科大学へ留学させていただいた。

なぜ、音楽学なのに、工科大学なのか、これにはドイツの歴史が関係している。ベルリン工科大学は、プロイセン時代に設立された王立の名門大学で、第一次、第二次世界大戦当時は兵器・弾薬・毒物等の開発・生産の中心となった。1945年の終戦時ベルリンのアメリカ占領地域にあったベルリン工科大学は、ナチスのセンターであったとして一旦閉鎖され、再開の条件として理系であっても、技術の独り歩きを二度と許さないことを目的に、人文学の学部配置が義務づけられ、歴史学、音楽学などの学科が開設された。冷戦による東西対立の中、ベルリンのソビエト占領地域にあった総合大学のフンボルト大学に対抗するため、西側のベルリン工科大学に新設された人文系学科にはハイレヴェルな教授陣が招聘され、音楽学もドイツで最高の研究がくりひろげられ現在に至っている。しかし、ベルリンの壁が崩壊して15年が過ぎ、工科大学での人文学部はその政治使命を終えたとして、2008年に廃止されることとなった。財政難を前面に出すことで、ポーランドやチェコなど、ナチスの犠牲になった周辺諸国からの抗議はまったく無く、ドイツの戦後政治のうまさに脱帽する。

今回のベルリン留学は、私にとって二度目のドイツ滞在。一度目は、8年ほど前に、まず、旧西ドイツのデュッセルドルフに、その後、旧東ドイツのライプツィヒに滞在した。デュッセルドルフで、私は間違いなく韓国人かと聞かれ、たまに韓国人に見られなかった場合は中国(台湾)人かと聞かれて、私がいや違うと言って初めて、日本人だと見てもらえた。ライプツィヒでは、私はカザフスタン人だとみられた。私自身、カザフスタン人を見て日本語で話しかけてしまったぐらい、カザフスタン人と日本人が似ていることは否めない。おもしろいのは、カザフスタン人に間違えられるということよりも、「カザフスタン人ではありません」と、私が答えた後の続きで、カザフスタン人でなければ、ウズベキスタン人、ウズベキスタン人でなければベトナム人など次々出てくる国の名前が、日本人の私からは遠い存在の国ばかりだった、ということ。

     

今回、ベルリンで私は日本人に見られた。パン屋でも、スーパーでも、大学でも、演奏会でも、必ず日本人だと言われたが、これは私にとって驚きだった。私のこれまでのドイツ滞在で、日本人に見られたことは初めてだったので、ベルリンには日本人が多いのかと思って調べてみたが、デュッセルドルフとベルリンでは人口比を考慮するとデュッ相対的に日本人が多かった。ただ、デュッセルドルフに住む日本人はほとんどが大企業の駐在員と家族であり、日本人社会を形成して日本人コミュニティの中で生活しているという事情がある。一方、ライプツィヒには日本人はいないと言っても過言でないくらい日本人が少なく、そもそも「日本」という概念が薄いので、日本人に見られなかったのは仕方の無いことだったと思う。では何故ベルリンで間違えられないのか。日本人観光客が多いこと、情報量が豊富なことが原因の少なからぬ部分だとは思うが、何よりベルリン(ドイツ)では、スラブ系、トルコ人など「外国人」という存在があまりに大きいことが大きな理由だと思う。外国人を日頃見慣れていればその見分けもつくようになるのではないか。

     

このように、ベルリンでは必ず日本人に見られたが、その一方で、他の街ではあまり感じなかった外国人差別の眼差しをあからさまに感じることが頻繁だった。何より多かったのが順番抜かしで、スーパーのレジで並んでいると、ドイツ人は外国人をまるで人では無いかのように抜かしていく。また、道を歩いていて、「外国人は自分の国へ帰れ!」と、怒鳴られたことも一度や二度ではない。

     

このように、ドイツには外国人が大勢住んでおり、彼らの多くは経済的な豊かさを求めてドイツへやってきた移民だ。戦後の1950年代、経済復興に伴う労働力不足を補うための国策として、旧西独ではトルコや韓国から、旧東独ではベトナムやモンゴルから労働者を招いたという歴史もある。ここで豊かな国に育ち貧困を知らない私は、政治的な背景を有する「難民」はともかく、経済的豊かさのために、言葉も文化も習慣も違う国で、差別されつつ暮らす決意とはいかなるものか、豊かさとはそれほどにも魅力的なのかと戸惑う。また、アメリカ式の豊かさの判断基準に疑問を感じてしまう。先進国の私たちが持っている「豊かさ」は果たして本当に途上国の人々の「貧しさ」よりも豊かなのだろうか。あふれるほどのモノに囲まれ、他人よりも「良い暮らし」をするために競争にあけくれる暮らしが、果たして本当「豊か」なのか。様々なことを「自分で自由に選べる」という選択肢があることの必要性はあると考えるが、生まれ育った国を捨て、母国語や風習や宗教を捨ててまで、遠く離れた土地に移民しなければ幸せがつかめない、と多数の人々が考えてしまうような価値観の押しつけが、こんなに横行してもよいものだろうか。自分の生まれた場所やその場所にあるモノに自信がもてないことほど不幸なものはないのではないか。

     

また、EUが拡大した現在、チェコ、ポーランド等の隣接諸国ではドイツへの出稼ぎも多いし、大学教育をドイツで受け、そのままドイツで就職という若者エリートの流出も顕著である。肌の色も宗教も同じである彼らの在りようは、私には、戦後日本の田舎と都会の構図に見える。豊かさを求めて労働力は都会に流出し、都会へ出た個人は裕福になったが、田舎には自立した産業・経済構造は生まれず、過疎化が進んだ。EUに新規加入した国々は、二流国家からの脱出を謳っているが、言葉を変えると「ヨーロッパの田舎」になる道を選択したのではないか。ポーランドやチェコには、伝統ある大学も衣食に足る生活のできる基盤も整っており、消費社会の「豊かさ」は無いが貧困ではない。出稼ぎによって、国民所得は高まり、人々は「豊か」になるだろうが、産業・経済・学術の空洞化も避けられまい。こうした状況を世界システム論という言葉で整理することもできるだろうがはたしてそれだけで、観察と議論は足りているのだろうか。

     

ここで話は変わるが、日本は「豊かな国」だから難民・経済移民は生まれていないのか。数からすれば、全体として極めて少ないに違いないが、ドイツにいて目につくのは、西洋音楽を中心とした西洋文化にたずさわる日本人の数である。日本では、多くの子供がお稽古事として西洋音楽をたしなむが、文化的な基盤、受容の背景といったものは圧倒的に少ないので、音楽大学からの供給と社会での需要のバランスは歪んだものとなる。演奏分野では、留学してそのままドイツに留まり活動する人の割合が極めて高く、例えばベルリンでの私の演奏関係の知人はほぼ全員が日本に帰らない。特に、ここで問題となるのは日本に西洋文化の需要が少ないのは当然としても、日本独自の文化の需要も薄いことだろう。ドイツのオペラの舞台には必ず日本人歌手がいて、あらゆるオーケストラの奏者に日本人の名前が記載され、ソリストとしても日本人が頻繁に登場する。一方、需要側でもまるでドイツに住んでいるような感覚で、演奏会に飛行機で日本から飛んでくる日本人が相当数いる。皮肉なことに、日本での供給が乏しいことが演奏会を聞くだけのために、わざわざ一泊二日でドイツまでやってくる需要を創出している。そしてこれまた歪んだ状況だが、ドイツでは近年、供給側の自国人の割合がゼロに近い。昨年のベルリン・ハンス・アイスラー音楽大学の全入学者のうち、ドイツ人はたったの一人だった。

     

ドイツに住んで思うこと。それは、外食をする、カフェに行く、クラシックの演奏会に行くなどなどの余暇の過ごし方・楽しみ方のバリエーションが圧倒的に多く、それらが生活に完全にとけこんでいることだ。雨が降れば野外での楽しみが減るので演奏会は混むし、駅の売店では色とりどりの花が売られる。夜も長い。真夜中の1時頃まで公共交通機関は昼間と同様に運行し、夜中も全域くまなく網羅するバス路線が30分間隔で正確に運行するなど、一晩中、帰宅の心配をしなくてよい。さらに週末となれば、地下鉄も近郊電車も約10分間隔で終日運転して、まるで毎週が年末年始だ。これは、日本と西洋とで、どちらが「良い」か、どちらを「見習うべき」かという単純な比較の問題ではなく、生活・文化・余暇ということについて、概念そのものから考え直してみる必要があるのではないかと帰国した今、考えている。

     

R財団からドイツに1年間留学させていただいた後今年3月に帰国して、幸い4月に文科省の特別研究員として採用していただき、現在も研究を続けている。また、7月からは毎日新聞に音楽批評を書かせていただき、先週末には日本音楽学会全国大会で発表させていただいた。これからも研究に励むので、よろしくお願いしたい。




| 年間例会予定 | ← 前回の例会 | ↑このページのトップ | 次回の例会 → |