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会長の時間
本日はビジターに東京西南RCの佐久田昌昭君をお迎えしている。10月は職業奉仕月間、米山月間となる。よろしくご協力願いたい。敦賀市教育委員会から10月29日(日)9時半よりプラザ萬象大ホールで開催される「教育フォーラム2006」の案内、また敦賀市役所商工観光課から10月27日(金)12時半より同じくプラザ萬象で開催される「ユーラシア大陸と日本海の新しい関係の案内が来ている。 8月までの出席率が発表された。敦賀RCは9月末日までの出席率100%の方が26名と喜んでいたが、2650地区96クラブの中で出席率は最下位。大変残念な結果となった。 先週、坂本会員から話があったニコニコ箱について話をしたい。ニコニコ箱は世界中どこの国にもあるものではなく日本独特のもの。昭和10年に起こった関東大震災の際、東京RCが被災孤児たちを当時オープンした多摩川園という遊園地に連れて行ってやろうと考えた。その際、関幸重という人が段ボール箱を持って「今日はあなたの誕生日じゃないですか」などと面白おかく話をしながら例会場を回ってお金を工面したところ、大卒初任給が60円の時代に600円ものお金が集まり、孤児たちを多摩川園に連れて行くことができた。その後、毎週のようにダンボール箱を持って例会場を回ったが、段ボール箱があまりに汚いので三越に注文してえびす様の顔を彫った箱をあつらえたのがニコニコ箱の起源といわれる。 なお、大阪RCには東京RCより5年早い昭和5年から「すまん箱」という遅刻などの罰金箱があったが、ニコニコ箱は会員が嬉しい事があった時に、それを記念してニコニコ笑って社会奉仕の浄財をクラブに寄託するもので、罰金箱のような恨み辛みのこもったお金を社会奉仕に使うことはロータリーの趣旨に合わない。ニコニコ箱は寄付金であり、「お金を出したい人が、出したい時に、出したい金額だけ出す」「出した人必ずしも尊からず、出さざる人必ずしも卑しからず」という寄付金の原則が支配する。すなわち強制的要素が一切ないのがニコニコ箱である。要するに、ニコニコ箱はクラブの社会奉仕活動のために理事会に預けておくお金(信託財産)であり、クラブの通常会計が赤字になったからと言って、このお金をクラブの赤字補填に使うことは出来ない。 社会奉仕のためのニコニコ箱をクラブの赤字補填に使えばロータリアンが社会奉仕財源をピンハネしたことになる。逆に「すまん箱」のような罰金箱なら、クラブの赤字補填に使うことも出来る。このように、ニコニコ箱は何時入ってくるか分からない不時の収入で事業計画も立てられないことから、ニコニコ箱のお金は当該会計年度に使うことが出来ない。今年のニコニコ箱は来年の奉仕に使うのが基本。したがって、ニコニコの基本的な年度は6月から5月。当該会計年度に使うとして予算を立てると、ニコニコ財源が予算額に満たない場合「今年度の予算(目標額)に達してないのでご協力お願いします」と言って例会でニコニコ箱を回すことになるが、これは強制になりロータリーの面目を汚すもの。 米山ボックス、R財団など、ニコニコ箱以外の募金がクラブ内部で絶えず行われているクラブは、雰囲気が明るくて活気にあふれている良いクラブだと言われている。ちなみに、敦賀RCではニコニコ箱の目標額3万円に米山、財団を加えると、年間7万円程度となる。 先週(9/27)の例会で、坂本会員からクラブ事務取扱内規のニコニコ箱の規定が、14年前の規定と一致しないとの指摘を受けた。刀根幹事、事務局と一緒に調べたところご指摘のとおりであり、理事会に諮った結果「この件は14年前まで遡り、その後何回か事務取扱規程が変更されていること、昨年よりロータリーの会計基準そのものが大きく変わっていること、さらに敦賀RCでは従来から会計上会費に含まれるとされる誕生日や結婚記念日に相当する金額をニコニコ会計に一切回さず、会の運営費用として使用してきた事実があることから今年度の年会費257,000円については、従来どおり全て会の運営費として使用させてもらうこととし、ニコニコは別途3万円を目標として募金をする」こととなった。また、事務取扱規程については、坂本会員のご指摘もふまえて、クラブ事務取扱内規10条を「ニコニコは奉仕活動の原資であり、一人平均3万円を目安として募金するものとする。各会員は本人の意思で慶事やお詫びに対する気持ちとして積極的に募金に協力するものとする」と修正させていただきたい。 この問題については皆さんの採決が必要となる。本来なら、会費に含まれるニコニコのお金8,000円をニコニコ会計に回すべきだったが、14年間一切回していなかった。ついては、ここではっきりと綺麗にさせたいが、14年前からは44名の会員が変わっていることもあり、「会費の中にニコニコを含まないこと、ニコニコは1年間3万円を目標とし皆さんの協力を求めること」を決議したい。この案を認めていただける方は挙手願いたい。 (挙手の結果)皆さんの承認を得られたので、先のとおりクラブ事務取扱内規10条を変更させていただく。 委員会報告親睦委員会恒例の家族旅行は11/12(日)「名古屋港イタリア村」で計画中。詳細は改めてファックスで案内する。たくさんの方にご参加頂きたい。 R財団委員会先日報告した100%ポールハリスクラブを目指して、認証ポイントを使わしてもらう件については、9月末をもって現在の募金額と認証ポイントを東京の事務局に申請した。今月中に寄付目標額について皆さんに協力いただき11月初旬に正式に100%ポールハリスクラブの申請を行いたい。 R情報委員会会長から出席率100%が26名との話があったが、「ガバナー月信」にあるように地区内96クラブの中で出席率70%以下は、敦賀RC(68.37%)と先日出来たばかりの福井水仙RCだけ。出席率100%のクラブは地区内で8クラブあり、96クラブの平均でも91.03%。敦賀RCもせめて普通のロータリーを目指してほしい。 一昨日、ガバナー事務所でガバナー補佐指名委員会が開催され、10名のガバナー補佐の内、次年度交代する3名について、福井県は当クラブの刀根会員が、滋賀県は勝見会員が、京都府は公文会員が指名された。 IMは10/21でJR直流化の日と重なったこともあり、当クラブは19名の登録だけだが出来るだけ参加を願いたい。今回は「RCの魅力と絆」というテーマ。 幹事RC記念ソングの歌詞は10曲の応募があった。この中から2曲を選んで投票願いたい。今週、来週で集約して1番の歌詞に曲をつける。先週お願いしたクラブ満足度調査について、来週までに提出いただきたい。全国ロータリー囲碁大会(10/29)開催の案内がきている。興味のある方は参加されたい。 元会長卓話坂本俊夫会員
戦争を直接体験した人も数少なくなってきたので、私が生まれてから20年間、戦争とともに暮らしてきた経験を話したい。一日では全ては話し終われないのでもし興味があれば残りは後日改めてお話する。 私は大正13年生まれだが、この時代は第1次世界大戦が終わった後、東京大震災が起こり、経済面では大恐慌が襲い、大学を出ても勤めるところがないという時代だった。また政情も不安で、東北で大飢饉に見舞われ娘を売ったとか、米騒動が起こったという悲惨な時代だった。このような時代背景の下、昭和のはじめにかけて軍部が資源確保のためか大陸や南方への進出を図りたいとの思惑を持ち、昭和6年9月には軍の参謀が満州を占領する目的で、奉天で南満鉄道を爆破した満州事変が起こった。翌年昭和7年2月には上海事変が起こり、私も敦賀港に旗を持って兵隊を見送りに行った。同年3月には、中国から分離独立して、清王朝最後の皇帝溥儀を皇帝に据えた満州国が建国された。列国が植民地を拡大する中、日本の植民地は朝鮮半島だけであり、国勢拡大のため日本は満州国を承認した。日本地図で見ると、当時樺太などは赤に塗られていたが満州国はピンク色となっていたことからも、日本は満州国を足がかりにして大陸に進出する企みを持っていたと思われる。世界の国から批判を浴びる中、日本は国際連盟脱退を宣言した。ジュネーブで開催された会議に出席した全権大使松岡外務大臣は、敦賀港から出港して敦賀港に帰港したが、私も大臣を迎えに港に行った。 また昭和の初めの頃は、内閣総理大臣も長くて1年半位で次々と変わった。昭和10年に開催されたロンドン軍縮会議で軍艦の削減等が協議されたが、日本に不利な内容であったため日本は軍縮会議を脱退した。方や国内では右派が台頭して、昭和11年2月には軍部の青年将校と右翼が手を結び、内閣総理などを襲撃した二二六事件が勃発した。昭和11年8月には陸海軍をはじめとする5大臣が協議して、大陸、南方への進出を決定した。また、第1次大戦後欧米ともめていたドイツと日本が防共協定を結んだ。このように世界中が政情不安の中で起きたのが昭和12年の盧溝橋事件で、日中戦争の発端となった。また、その年の12月には大本営が設置され、いよいよ戦時体制に突入した。 私も毎週のように敦賀港から大陸に出港する兵隊さんを見送りに行くなど、戦争一色の時代だった。大陸では戦果があがる一方、昭和13年には国家総動員法が制定され、貴金属をはじめあらゆる物を供出させられるなど戦時体制が強化された。毎日戦争の話ばかりで、昭和14年には米穀の配給統制令が施行され、主食類は全て配給制となった。米が配給された頃はまだよかったが、終戦の頃には米の代わりにこんにゃくなどの代用品が配給されるようになった。その頃、外食券というものがあり、下宿の人などは外食券食堂に行って食事をして暮らしていた。私も美味いと噂される外食券食堂に出向いて食事をした覚えがある。 同年7月に国民徴用令が施行され、学生以外で仕事に就いてない人などは軍事工場へ駆り出された。翌15年には、ヨーロッパでドイツとイタリアが欧米とソ連を相手に開戦し第2次世界大戦へと突き進んだ。更に、同年9月には日本、ドイツ、イタリアの3国が軍事同盟を結び、この体制が終戦まで続いた。また、この年日本では大政翼賛会が組織された。その他、この年11月には皇紀2600年の式典が盛大に催された。昭和16年になるとドイツとソ連が開戦し、日本では同年12月1日に御前会議が開かれ対米英等を相手に開戦することを決定し、12月8日には真珠湾攻撃を行い大東亜戦争がはじまった。 考えてみると、小学生に入ってから、満州事変、日中戦争、大東亜戦争と戦争一色の中で暮らしてきた。笑い話のようだが、学校では敵性語廃止の一環で「ベースボール」は「野球」などと言い換えなくてはならなかった。おかげで、未だに外国が苦手となっている。今日は時間がないので、皆さんが聞きたいということであれば、この続きを改めてお話したい。
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